『六本木心中』と80年代

85年を挟んだある時期、六本木を唄った歌謡曲のリリース・ラッシュがあることに気づいた。そういや“六本木パソコン”なんてキャッチフレーズが登場したのも1984年のこと。
年代がすぐにわかるものでこのくらい。*1
1984

1985年

1986年

  • 『六本木十時軍』杉浦幸
  • 『六本木純情派』荻野目洋子
  • 『六本木スキャンダル』早川愛美

アン・ルイス Best Selection
この問題を『六本木心中』中心に考察してみた。

この街は広すぎる
BIG CITY IS A LONELY PLACE
独りぼっちじゃ 街のあかりが
人の気を狂わせる
桜吹雪に ハラハラすがり
あなたなしでは 生きてゆけぬ
うぬぼれないで 言葉じゃダメさ
男らしさを 立てておくれ
『六本木心中』作詞:湯川れい子

涙の太陽
「Can`t leave without you babe」、「BIG CITY IS A LONELY PLACE」などの英語が混じりながらも、「売れないジゴロみたい」な男にすがり「あなたなしでは生きてゆけぬ」とすがる女の生き方を描いていた浪花節、そして「桜吹雪」なんてフレーズが混じるこの歌のテーマは「和と洋の融合」。
作詞はR・ホットリヴァー名義で『涙の太陽』という「洋楽歌謡」*2を書いた湯川れい子で、唄っているのは日米ハーフのアン・ルイス。パーフェクトな日米折衷歌謡。
CD&DVD THE BEST フィンガー5(DVD付)
歌詞に「六本木」も「心中」も登場しないなのに「六本木心中」なのにもテーマ性がよくあらわれていて、ただ単に「心中」は「和」的なフレーズ。そして「六本木」は「洋」をあらわす。
六本木は戦後米軍に接収され、ロバート・ホワイティングの『東京アンダーグラウンド』に登場するピザ屋“ニコラス”に始まって外人向けのクラブやバーが建ち並ぶ街になった。川添浩史がオーナーの“キャンティ(飯倉)”がオープンするのは1960年。その頃から日本の文化人が流入。1964年に日比谷線が開通すると、若い六本木族が登場するが、六本木野獣会の面々をみてわかるとおり、その多くは庶民ではなく皆特権階級の子弟。その六本木が新宿のように庶民が立ち入れる場所となったのは、せいぜい80年前後の(第二次)ディスコブーム以降なのではないか。THE BEST~Cynthia-ly
そこから推察するに、80年代に六本木の歌が作られたのは、いまだアメリカだった六本木を奪還したことに伴なうフィーバーだったのではないか。72年の沖縄返還にともなう南沙織フィンガー5が登場したのと同じ現象。
個人的な印象だと、『六本木心中』は完全に歌謡曲なんだけど、これ以降、非歌謡なモノが溢れてくる。この翌年には聖飢魔Ⅱラフィン・ノーズBOOWYといった『六本木心中』チルドレン的な水商売ロックが出てくる。そして、もろ直系のSHOW-YAがメジャーデビューしたも1985年だった。

***結構時間がかかったので『六本木心中』に関しての考察は一旦中止。ホントはこのあと、“極西メソッド”で東から西、もしくは西から東への運動と六本木について考察する予定だったんだけどそれは多分また今度(有りがちなあれだ)。

東京アンダーワールド (角川文庫)

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キャンティ物語 (幻冬舎文庫)

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極西文学論―West way to the world

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*1:ちなみに六本木に関係する歌のリストはしたのURLでどうぞ。
http://www.pointex.biz/~567/tokyo/tokyo02.htm

*2:実際洋楽レーベルから発売された