ブルーズ再考

id:marron555さんの日記のコメント欄*1で、“三択の女王”じゃなかった、“ブルースの女王・淡谷のり子”というときの“ブルース”はどういう文脈のブルースなんだという興味深い議論がなされています。はてなのキーワードでは、黒人音楽であるブルース「の影響を受けた」というふうにさらっと解説してありますけど、これは大いに疑問。
id:marron555さんのコメント欄では「音楽の様式としてのブルーズじゃなくて」、「憂鬱という意味の方のブルーズ」、「“いかした意匠”としての“ブルース”」なのでは、というけつろんにまとまりつつあります。
ブギウギ(ブギ)、ルンバ、マンボ、チャチャ、タンゴ、ボサノバなど戦後歌謡は外国の音楽の流行に沿って生まれてます。これらのジャンルはリズムをあらわすものだったので割と忠実に再現されてるけど、ブルースの様式はリズムでなく、スケールやコード進行なので、きちんと再現されなかったのでしょうか? 題名にブルースがつく歌謡曲のほとんどが、短調の曲(黒人のブルーズは長調ですよね?)な気がします。
もちろん、これらは淡谷のり子のキャリアに対する中傷ではないです。淡谷センセは「私は演歌が大ッ嫌いなの。一生ブルースを歌い続けるわ」というようなセリフを残しています(うろ覚えですが『徹子の部屋』だったかな?)。この“ブルース”というジャンルにこだわり続けた姿勢は感動を誘います。音楽の様式ではなく、自分がこだわるものこそ“ブルース”。“俺のロック”と同義です。そういう自分だけのジャンルを築いた歌手は、決して多くありません。淡谷センセはそれを成し得た偉大なブルース・シンガーなのです。以上「私の考えるブルース」でした。
【追加】『“言ったもん勝ち”論 』
http://d.hatena.ne.jp/kzroom/20040924#1095996175