『頭文字D劇場版』を観た

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フジミ模型 頭文字Dシリーズ01 AE86トレノ 藤原拓海仕様

僕は原作コミックとアニメ版はちゃんとチェックしているけど、走り屋的な知識はゼロに等しいというイニDファンです。あと後半はかなりネタバレします。

まず感想からいうとかなりおもしろかった。
ネットでの評判はいまいちみたいだけど、父親の文太が素晴らしい。飲んだくれの酔っ払いというキャラにアレンジされてるけど、原作のいつも目をつぶっているキャラクターを演技で再現している。それだけで拍手喝采。原作では無口でニヒルなキャラだけど、映画ではかなりクレイジーで独自のキャラに生まれ変わっている。
原作にもあるシークエンスなんだけど、主人公の拓海のレースのシーンに文太とGSの店長の電話での会話がカットバック的に入り、それがレースの解説になっているという秀逸な個所があって、そこを映画でも再現されている。ここは脚本家がしっかり原作を読み込んでいることがわかってうれしかった個所。
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高橋涼介は原作では、医大生でパソコンを駆使する理論派の走り屋で、腕もルックスも一流、プラス公道最速理論や「冬を制するものは、夏を制する」などの台詞を吐く哲学者で、“赤城の白い彗星”というあだ名からもわかるとおり“シャア・アズナブル”そのものなんだけど、劇場版ではあだ名も無く、哲学者ではなかったのが悔やまれる。
最も香港映画らしいアレンジが樹のキャラ。“ブーチャン”というあだ名の金持ちキャラ(GSの店長の息子に変更)になっていた。
原作と最も違うのは、主人公のガールフレンド“なつき”との恋愛の部分。原作どおりメルセデスに乗る年配の男と援交をしているという設定は生きているんだけど、最後、拓海はなつきのことを許すことなくなつきの元を去ってしまう。香港映画のモラルでは売春が許されないのか、もしくは頭文字DのBL的、ホモソーシャル的な部分をくすぐって(映画では特にそれを揶揄する個所多数)あえてガールフレンドを捨てて涼介を選ぶエンディングを重視したのか、どっちだろう。
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さらに原作との違いは、中里のR32が普通にドリフト走行してるところと僕の最も好きなキャラの高橋啓介が省かれているところかな。中里が初期の啓介の役割を果たしているところを見ると、車種を増やすため、もしくはクルマメーカーの均等化のためか?(啓介はマツダのFD、中里は日産のGTR。すべて原作どおり)

ネットでの反応を見ると、キャラや設定が原作と違いすぎるという声が多いけど、「無自覚な主人公が走り屋の血に目覚めていく成長物語」、「走り屋世代闘争という親子関係」、「北関東を舞台にした群雄割拠する国取り物語」、「地方都市に住み、土地に誇りを持つ若者たちの青春モノ」という原作の世界観をかなり理解した上でアレンジが加わっているという点で秀逸な映画化だと思った。
あと音楽がユーロビートで無いことに対する反感も多く見たけど、アニメやゲームで使われているユーロビートがギャグにしか思えない僕からすると、映画版のメロウなヒップホップは好感が持てた。
あとこれを韓国映画だと思ってる人多過ぎ!