「マリオ」から見るアメリカ その2

前回はマリオ誕生の背景には1930年頃に萌芽したアメリカのポップカルチャーが影響しているっていう話だった。≫「マリオ」から見るアメリカ その1
2回目となる今回はアメリカン・ヒーローとマリオの関係に触れてみる。

まずはマリオの造形について。野球帽につなぎのズボン、口ひげに巨大なだんご鼻。このキャラクター設定に深い意味はない。これらは限られた色数とドット数のなかで、最大限にキャラクターを特徴付けようとした苦労の賜物に過ぎない。
イタリア系の名前を持つことや、“配管工(『マリオブラザーズ』)”、“家屋解体業(レッキング・クルー)”という肉体労働者という設定(公式には大工らしい)にも深い意味はない。
“マリオ”という名前は、たまたま当時のNOA(ニンテンドー・オブ・アメリカ)の倉庫番として働いていたイタリア系移民のおじさんがマリオの造形によく似ていたところから付けられたというのが定説だし、当初の色数、ドット数の制限のなかから生まれた“つなぎ”に“キャップ”というスタイルから連想して“配管工”をモチーフにしたゲームが生まれているだけ。
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しかし、そんななかからでも読み取れる要素はある。マリオに使われた色は、肌の部分の色と服装の部分の赤と青の計3色。赤と青といえばふたりのアメリカンヒーロー『スーパーマン』と『スパイダーマン』のカラーリングと一緒なのだ。
これらのヒーローが赤と青のコスチュームを纏っていたのは星条旗に使われているアメリカを象徴する色だからだ。ちなみに日本のヒーローであるウルトラマンは日の丸で使われている白と赤のカラーリングだ。
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『スーパーマン』はヨーロッパで第二次世界大戦が始まる前の年の1938年に、コミックスの主人公として登場。当時のアメリカでもヨーロッパでのナチス台頭の脅威は他人事ではなく(1938年といえばオーソン・ウェルズのラジオドラマ『宇宙戦争』のパニックと同じとし)、不安とナショナリズムの高揚の中からスーパーマンというヒーローが生まれ、国威発揚の一端を担ったと想像するに難しくないはず。一方の『スパイダーマン』もコミックス出身のヒーローで初登場は1962年。『スーパーマン』が“機関車よりも強く!弾丸よりも早く!雲より高くそびえたつ高層ビルもひとっ飛び”の宇宙人だったのに比べ、スパイダーマンは冴えない高校生が特殊な能力を帯びるという設定であった。
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20余年の内にアメリカン・ヒーロー像は少し変化した。そして、ベトナム戦争ウォーターゲート事件を経た1970年代半ばになると、ヒーロー像はさらにまったく違ったものになっていく。
極貧のイタリア系ボクサーのサクセスストーリー『ロッキー(1976)』。イタリア系の労働者の青年がディスコという自分の居場所を見つけていく僕のフェイバリット映画『サタデー・ナイト・フィーバー(1977)』。この2人のヒーローの共通点は貧困から身を立てるサクセスストーリーであること、そしてもうひとつはどちらもイタリア系移民であること。*1
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ロッキー〈特別編〉 [DVD]また、マーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー(1976)』ではロバート・デ・ニーロが演じるアンチヒーローの姿が描かれた。この2人もイタリア系だ。
少し強引に話をまとめると、1981年に誕生した“マリオ”は時代的にもこのイタリア系労働者がヒーローになる物語の系譜として捉えることができる。
アメリカン・ヒーローの証である青と赤のコスチュームを纏ったデジタル時代のヒーローはイタリア系で、しかも日本産。このねじれこそアメリカの病理とかいってまとめるのはあまりに強引なのでアレだな。やーめた。

次回は今回抜け落ちた60年代のカウンターカルチャーとマリオの関係、もしくは音楽の話を書くと思います。

*1:これらの映画の前段階としてアンハッピーエンディングが多かったアメリカン・ニューシネマの反動があるのだけど、その話は“その3”に譲る。