ネルソン・ジョージとディスコと70年代の黒人音楽とYシャツと私

 
今、読んでいるネルソン・ジョージ(黒人の音楽ジャーナリスト)の『ヒップホップアメリカ』の割と序盤の方にディスコに関する考察が多数登場するのでメモ。ネルソン・ジョージのディスコに対する立場は明確だ。以下は70年代のブラック・ミュージックの動向について書かれた一文。ヒップホップ・アメリカ

そして、ブラック・ミュージック不振の二番目の要素として挙げられるのは、ディスコの隆盛だった。とはいえ、ぼくはここでディスコ・ムーヴメントがブラック・ミュージックに悪影響を及ぼしたと指摘したいわけではない。むしろ、ディスコはブラック・ミュージックにとってよかったものなのである。しかし、痛手となったのは、レコード会社内部でのディスコの解釈の在り方であり、多くの白人の音楽ファンがディスコ・ミュージックに対してとった強硬な態度なのであった。
『ヒップホップアメリカ』P.53 著/ネルソン・ジョージ、訳/高見展

わかりやすく言うと、“良いディスコ”と“悪いディスコ”がいるということ。良いディスコはギャンブル&ハフ(フィラデルフィア・レコードの作曲チーム)であり、バリー・ホワイトであると。で、悪いディスコとは、「プロデューサーや大手レーベル幹部の意向で」押し付けられたダンス志向の音楽であり、具体的にはアレサ・フランクリン『ラ・ディーヴァ』やオハイオ・プレイヤーズ『エブリバディ・アップ』であり、ディスコ・プロデューサーのマイケル・ゼイガーの手がけた作品であるという。僕の興味の対象は後者かな。
この辺のくだりには当時のレコード会社がいかにディスコを見誤ったかという話が書かれていて興味深い。ネルソン・ジョージは70年代にはビルボードから黒人アーティストが占める割合が減っていった話に続き、1977年のグラミー賞R&B部門で起こった「象徴的な事例」を挙げている。

5曲あったのみネーション枠のうち、二曲ずつがディスコとはまるで無縁な二大アフリカ系アメリカ系アメリカ人バンド、つまり、アース・ウィンド&ファイアーとコモドアーズの曲が二曲ずつ候補に挙げられていた。しかし、この四曲とも選考から漏れてしまい、結局、その年のR&B部門の最優秀曲賞に輝いたのはイギリスの白人アーティストであるレオ・レイヤーのお手軽なディスコ曲“恋の魔法使い”(You Make Me Feel Like Dancing)だった。当時のグラミー賞の審査員はブラック・ミュージックにはあまり明るくないうえに、ほとんどがレコード業界の白人によって占められていて、そんな審査員にとってディスコとはR&Bと互換性の利くものでしかなかったのである。
『ヒップホップアメリカ』P.60 著/ネルソン・ジョージ、訳/高見展

まず、ここで興味深いのはネルソン・ジョージとは正反対に、僕ら日本人はアースとコモドアーズは代表的なディスコ・バンドと認識しているということ。アースに関しては以前のエントリで、「アースはダンスミュージックをやっているつもりは全然なくて、唯一意識してつくったディスコナンバーは1曲のみ」というインタビューについて触れたとおり。日本人と黒人との間にはちょっと意識の違いがある。
それともうひとつ。この本には“クロス・オーヴァー”という言葉がよく出てくるのだけど、これは僕らが“フュージョン/クロスオーバー”呼ぶ類の音楽のジャンルではなく、黒人音楽が白人に受け入れらていく現象、もしくは黒人音楽を白人向けに売る戦略のことを指している。
これら、大手レコード会社の黒人音楽への理解の無さの一因に、当時のレコード会社の事務所がマンハッタン6番街に集中していたことが上げられており、“スタジオ54”などの裕福な層が通ったディスコしか近くになかったことなどが挙げられている。そして、そういう無理解の中から時間をかけて台頭した黒人音楽が、「ディスコ・ミクシング、ダブ・サウンド、そしてトースト*1の三つの合体」、そして「そこで生まれたテクニックと感性」が生み出した「ヒップホップ」だとまとめている。
僕のディスコ研究的にはディスコの精神史がメインになんだけど、ディスコの技術史的な観点ではヒップホップもディスコの傍流としてあるということ。ネルソン・ジョージ流“悪いディスコ”の考察は後日あらためて。

*1:トーストとはラップの原型で、DJがパフォーマンスの合間に女性遍歴の自慢や武勇伝を語るという芸当