まだまだディスコ化する世界について

これが2004年最後のエントリになるかな。今年一番シリアスなことを書くつもり。テーマはもちろん“ディスコ”。
今年の後半をディスコ研究に費やしただけのことはあって、僕はディスコを通じて多くを学んだ。ヒップホップが単なるラップミュージックでないように、ディスコも単なる音楽の1形態、1ジャンルではない。思想であり闘争の手段である。何度も触れてきていることだけど、ディスコはナチス占領下のパリのカフェの地下で原型が生まれ(ココ参照)、セカンド・サマー・オブ・ラブ後のニューヨークの街で産声を上げた*1。黒人とスパニッシュのゲイたちが解放の声を挙げた瞬間(=ストーンウォールの暴動については後日詳細を書くつもり)ディスコが誕生したのだ。
ディスコ・ミュージックが踊る要素だけを強化し、単純な反復リズム、ポジティブ、肯定的、快楽主義、刹那的、肉体的、唯物主義的な側面が目立つのは、ディスコの出自がゲイ・カルチャーであることに起因する。ブルース、リズム・アンド・ブルース同様、ディスコも“虐げられたモノたち”が生み出した音楽だ。
快楽を前面に出す刹那的なディスコ・ミュージックは当時のロック評論には敵視され、シカゴのロック専門局のDJが訴えた“Disco Suck”の合言葉とともに排斥運動まで生まれている。ディスコが生まれた背景にはもちろんロックは無縁ではない(初期ディスコではドアーズのナンバーもプレイされていた)が、ロックに表現主義を求めた評論家・ファンは“俗化した黒人音楽”としてディスコを目の敵にした。快楽主義者が保守的な人々につぶされるのは世の常ではある。そのことについてはマーク・トゥエインなどが小説にしている。トム・ソーヤーの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)
トム・ソーヤーの冒険〈下〉 (岩波少年文庫)
で、大手レコード会社にとってもディスコは敵だった。ディスコが生まれた当時のレコード会社の商売のやり方は、プロモーションに大金をつぎ込み、戦略的にスターを生み出すというものだった。しかし、ディスコから生まれたヒットは、ダンスフロアで人気を得て口コミでセールスへとつながったもの。つまり実力主義。プロモにお金をかけなくとも、歌い手がスターでなくてもディスコのDJが気に入り、フロアの客が気に入れば売れるようになった。これは、現在のクラブ・ミュージックに近い。既存の大手レコード会社に替わり、インディペンデントなレコードレーベルがチャートに食い込むようになったのはディスコ以降のこと。
1978年に『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開され頂点を迎えたディスコ・ミュージックだったが、ディスコブームに恐れをなした大手レコード会社によるディスコ・レコードの粗製濫造により恐竜化し、ブームは急速に衰える。
この後の音楽シーンは、ニューウェーブ勢の台頭(もしくは第二次ブリティッシュ・インベージョン)とマイケル・ジャクソン、マドンナらの登場で一新される。しかし、これらも見方によっては“ディスコ化”でもある。ニュー・オーダーの『ブルー・マンデー』はディスコビートをロックに取り入れたものだし、マドンナのヒットを支えたのはCHICのナイル・ロジャースらディスコ人脈のおかげ。YMOだってディスコとエキゾチシズムの融合だし、リズムマシーンもディスコ的思想を具現化した道具。ディスコが黒人の手を離れ、世界的な流れとなったのが80年代の音楽シーンだ。黒人から白人になったマイケル・ジャクソンがその象徴だ。
以上が僕がディスコ史を学び、体得したディスコ史観の一部。2005年もディスコ化する世界について考えていくつもりなのでよろしく。ちなみにこれまでディスコについて書いたエントリはこちらからどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/searchdiary?word=%2a%5bDISCO%5d
2005年も、ひとつよろしく!

*1:オレオレディスコ史観によると、カウンターカルチャー東海岸ではディスコになり、西海岸ではパーソナルなコンピュータに昇華した。