ホットパンツの文化史

思い立ってホットパンツについて調べてみた。
 ホットパンツとは元々リゾート用に限られていた女性用ショートパンツが、街着として着るようになって、命名されたものみたい。ホットパンツ以前のショートパンツと素材やデザインが違うというより、ビビッドなカラータイツ、ファンシーなトップと合わせるなど、コーディネートの有無が大きな違い。
 近代ホットパンツ史は、ドロテ・ビスというフランスのニットウェア・ブティックから始まった。『ブランド事典』によると、ドロテ・ビスは「デザイナー兼バイヤーのジャクリーヌ・ジャコブスン(JacquelineJacobson)と夫エリー・ジャコブスン(ElieJ)。が経営する、フランスのニットウェア・ブティック」であり、「フランス既製服の推進者として知られ、シースルーのニットを考案し、ホットパンツ流行(1969年)の仕掛人」なのだそうだ。ネット上で調べる限り、ホットパンツとドロテ・ビスについて書かれた資料は見当たらないようだ(日本語ではネ)。
 ファッション界にホットパンツがお目見えしたのは1970年のパリ・コレクションのこと(どこのブランドなのかは判別ついてない)。これを伝えたアメリカのファション業界の専門紙が、記事の中で“男性の視線がホットだった”と伝えたことから“ホットパンツ”の名称が生まれる。
 日本でホットパンツに最も注目が集まったのは、71〜72年のこと。70年万博で新しい時代を迎え、沖縄返還、札幌冬季五輪、連合赤軍事件などの重要な出来事が相次ぐ時代。服飾史的には、1971年に女のコをターゲットにしたファッション誌『ノンノ』が創刊。ビキニタイプの水着が登場(1971)している。もちろん、ホットパンツ以前の流れとして、1967年のツイギー来日とともに流行したミニスカートブームの余韻もあった。露出の多いファッションに対する社会の寛容の流れ、そして、 サファリルック、アーミールックなど全般的にスポーティーなものが街着に取り込まれた流れがホットパンツの流行にも結びついている。
 この時代、忘れてはいけないのがアメリカから伝播した女性解放運動の流れ。 1970年11月14日に渋谷で日本発のウーマンリブ大会が開催された。70年代はパンツルックの時代になっていく。これはウーマンリブの流れと無縁ではない。ちなみにホットパンツの流行は1972年以降は急速に鎮火していったようだ。

 ここまで、ホットパンツ史にスポットを当ててきたんだけど、当エントリは実は僕がこの日記でメインテーマににしているディスコ史へとつなげるためのものだ。
 まさに日本でホットパンツブームが到来していた1971年。ポリドールに移籍したジェームス・ブラウンが第一弾としてアルバムを発表した。そのタイトルは『ホット・パンツ』。1971年はJBの音楽が最も革新的に変革し、急速にファンクネスを獲得していた時期にあたる。1971年はまだNYのアンダーグラウンドでディスコが生まれたばかりの時期。おそらく黎明期のDJたちはこの辺りのJBの曲をパワープレイしていたはず。そして、その後のオーバーグラウンドに与えた影響も大きく、この『ホットパンツ』でのJBの動きを元にしたダンス・ステップ“ホットパンツ”*1も生まれている。
 ちなみにこのアルバムの裏ジャケはセクシーな女性のホットパンツ姿なのだが、米盤と独盤では写真が違うらしい。
http://www.soulfreak.co.jp/new_page_35.htm
ちなみに↑のサイトは、ディスコステップの歴史を研究しているサイト。国内のディスコ情報を扱うサイトの中では最高峰だと思う。

【ついでに関連サイト】

【こんな関連商品も……】
ホット・パンツ ー アイム・カミング一応検索したらこんなのもありました(笑)。
どっちのFUCKショー2 ミニスカVSホットパンツ編 [DVD]
後藤真希写真集 「Maki Goto Photobook Concert Tour 2004 Spring?真金色に塗っちゃえ!?」現在のホットパンツクィーン! 僕の時代のホットパンツクィーンは石川秀美だった(笑)。

*1:・ソウルステップビデオ全集(4巻目にホットパンツのステップが収録)
http://www.soulfreak-jp.com/soul_video_all.htm