PA、サウンドシステムの起源はナチス党大会

僕はこの“DISCO”というカテゴリーで、ディスコ文化史を辿っているんだけど、あちこち飛び火することは必至なので、ここで整理しておきたい。

  1. ソフトウェア=DJ、レコード
  2. ハードウェア=サウンド・システム、箱
  3. オーディエンス=ファッション、社会、思想
  4. 隣接文化=ディスコをモチーフにした映画など

ひとくちにディスコ研究といても、この4つの項目に分けることはできるかなと。
今回は2.ハードウェアにのサウンド・システムに触れてみようと思う。
【ハードウェア サウンドシステム編】
 現在のクラブのサウンド・システムはすべて、NYの『パラダイス・ガラージ(1976年〜1987年)』の影響下にある。パラダイス・ガラージサウンド・システムはエンジニアのリチャード・ロングがレジデントDJのラリー・レヴァンのアドバイスを元にスピーカー&イコライザーを手作りしたもので、“ブーンブーンサウンド”、“モンスター・サウンド”などの名称が与えられた。そして、1979年、1980年に「ビルボード」誌の“ベスト・クラブ”、“ベスト・サウンドシステム”に選ばれている。パラダイス・ガラージ閉店後、レヴァンが別の店に移ることなく、転落を始めたのは、この理想のサウンドシステムが2度と手に入らないことに絶望したせいといわれている。
推測ではあるが、パラダイス・ガレージ以前のクラブでは、目一杯の大音量で音楽はかけていなかったと思われる。例えば、おなじNYのLOFTでは声を張り上げることなく会話ができたという当時の客の証言もある。パラダイス・ガラージの客の熱狂は、初めて体感した“大音量”に向けたものだったのではないか? また、映画『MAESTRO』を観て始めて知ったことなのだけど、レヴァンの片耳は難聴だったようだ。いつから難聴が始まったのかはわからないが、ガラージの音量のすさまじさを証明するエピソードではある。もしくは、難聴だったからこそガラージは大きな音になったという可能性もある(コレは薄いと思うけど)。

そしてクラブ以前のサウンドシステムの歴史に目を移すと、菊地成孔タツヤ・オオエのアルバムのライナーノーツとして寄せた文章として、PAシステムの歴史に関する興味深い発言を残している。ここでは「近代PAの開祖はナチスドイツの党大会だ」とされており、6万人収容のグラウンドの地中に巨大出力のPAスピーカーが埋められ、重低音を効かせたワーグナーのレコードがプレイされたと。これは、最初のDJがトマス・エジソンであるという以前読んだ某著*1並におもしろい説。
この辺の妄想過多な説を集めて現在ディスコ年表を作成中。今は、やはり妄想過多なDJの歴史を綴った『DJカルチャー ポップカルチャーの思想史』という本を読んでる。ディスコ年表完成はまだまだ先になりそう。
【追記】PAの始まりについての考察
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/pa.html
ちなみに僕の灰色の脳細胞によれば、↑の方は川越高校水泳部が男子シンクロを文化祭の出し物としてやったのときのPAを担当した伝説のPAと記憶している。

参考文献:『HOUSE LEGEND』remix編集部、映画『MAESTRO』、『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール菊地成孔/著(小学館)ほか

DJカルチャー―ポップカルチャーの思想史

DJカルチャー―ポップカルチャーの思想史

HOUSE LEGEND

HOUSE LEGEND

*1:『そして、みんなクレイジーになっていく―DJは世界のエンターテインメントを支配する神になった』ビル ブルースター、フランク ブロートン/著 島田 陽子/訳