マッドチェスター、レイヴ・オ〜ン

gotanda62004-03-18

今号の『TV Bros.』で、『ネット探偵団』という連載をやっている川崎和哉が、かつて音楽ライターをやっていたころの話に触れている。
よーく知ってますとも、あなたが『ロッキング・オン』誌上でマッドチェスター、レイヴ・オ〜ンと騒いでいた頃のことは。当時、田舎の高校生だったぼくは、ハッピー・マンデイズの『Pills Thrills & Bellyaches』(邦盤)を発売日に石丸電気に買いに行った。その後、『Pills Thrills & Bellyaches』を超えるPrimal Screamの『Screamaderica』がリリースされ、フリッパーズ・ギターが解散し、ニセ加勢大周が登場し・・・そんなこんなで90年代は幕を開けていったのだ。
当時僕が住んでいた新潟の街では、輸入盤は国内盤よりも高かった(今ではタワレコもあるが)し、『スタジオ・ボイス』を置いている書店も一軒しかなかったし、『remix』は音楽通の集まるレコード屋でしか手に入らなかった。
大学に入り東京に出てくるとクラブにも行った。佐藤大伊藤ガビンといった面々が『ID JAPAN』など書いていたゲームの原稿にあこがていた僕は『東京ゲーマーズ・ナイト』にも通った。バイト先の下北沢の居酒屋にはTokyo No.1 Soul Setスチャダラパーが客としてきていた。当時彼らは下北沢ZOOでレギュラーでイベントをやっていた。当時、ZOOといえば瀧見憲司。もちろん行った。
話は戻って川崎和哉。音楽ライターから足を洗った彼は1995年、インターネットをオルタナティブなメディアとして紹介した『ネット・トラヴェラーズ』を作る。それを読んだ僕は、当時まだ少なかったWeb-zineを作った。マックの『カラークラシック』とHPのプリンタで雑誌を作って、『フロッケ』に出展したり、吉祥寺の『33』に置いてもらったりもした(全部で20部くらいしか売れなかった)。デジタルカルチャー誌が何誌か創刊され(参照「90年代のGQ JAPANのコンピュータ特集」『ARTIFACT 人工事実』)、マルチメディアという言葉とともに新しい世代に当たるニューブリード、ニューエッジという言葉が生まれていたころのことだ。
回顧するにはまだ恥ずかしさの残る自分自身の90年代を、川崎和哉に沿って振り返ってみました。はてな界隈で80年代が話題になることが多いけど(例えばここ)、こうやって振り返ってみると、一応90年代っていうものも存在していたのだ。