劇場版『あしたのジョー』(1980年制作 監督・脚本/福田陽一郎)

「われわれは『あしたのジョー』である」
1970年、よど号ハイジャック事件のリーダー田宮高麿が手記として残した言葉だ。
MXテレビで7日に放映していた劇場版『あしたのジョー』(1980年制作 監督・脚本/福田陽一郎)を観る。劇場版の製作総指揮にもクレジットされている原作者の梶原一騎が、解説者の吹き替えでも登場。まあかなり棒読み。オープニングは口笛の音をバックにジョーが街に足を踏み入れるシーン。カメラはジョーの後から股の間を通している。立ち止まるジョー。足の間に悪漢たちが現われる。嗚呼マカロニウエスタン! 
一番の演技どころは試合後、力石の倒れるシーン。壮絶な試合のあと、ジョーは初めて握手の手を差し出す。二人の手のクローズアップ。ジョーの手を握ろうとする力石の手。しかし、力石はジョーの手を空振りし、そのまま倒れこんでゆく。
あしたのジョー』はサクセスストーリーの典型。この手の物語では、成功の頂点で物語を終わらせてはいけない。観客の共感を得るためには、少し温度を下げてやる必要がある。例えば苦労を分かち合い死んでいった仲間の墓参りにいくとか、そういうふうに。『あしたのジョー』においては、力石の死がまさにそういうアイテム。
世の中には犯罪モノというジャンルがあるが、その多くはサクセスストーリーだ。『スティング』のようにうまく騙してメデタシというモノではなく、最期は追いつめられて壮絶に死んでいくものがそう。犯罪の場合、敗北まで含めてがサクセスなのだ。この手の話はアメリカンニューシネマに多い。
「われわれは『あしたのジョー』である」という声明。こういうことを言ってしまう人間は好きだ。その後の行動(ハイジャック)、死も含めてサクセスストーリーのいい題材だと思う。