なんか、ブログ止めておくのもアレなんで。

地震があった3月11日の14時50分は、赤坂で大山顕さん、佐藤大さんと団地団の打ち合わせ中でした。周りが巨大なビルだらけの赤坂でどうしていいやら迷いつつも、数回目の大きめの余震のときに、外へと避難。外には多くの人であふれています。
この時点では、空車のタクシーをつかまえて移動している人もいました。僕らはとにかく、交通網はどうなっているのかと、赤坂から赤坂見附方面に歩き、さらにJRと地下鉄の交差する四谷まで鉄道の運行情報を得るために移動。わかってはいましたが、とりあえず全鉄道は復旧見込みなしとのこと。とりあえず、帰宅難民化したぼくらは、たまたまオープンした居酒屋に一時退避。
そこで、テレビのニュースで津波の映像などを見ながら、鉄道の復旧を待ち、ツイッターで家族(と猫)や友人の安否の確認を行っていました。僕のiPhoneは途中で電源が切れましたが、大山顕さんには充電ツールを借り、お店には電源を借りて充電。これは、とても助かった。僕の次に佐藤大さんのケータイの電池が切れたときにも変換コネクターで対処。大山さんは、ノートPCも持っており、いざというときのバッテリと情報収集の手段を複数持っている。そのことの重要性を身に染みて理解し、僕は直後、帰宅後即AmazoniPhoneのリチウム充電池を購入しました。
店の外は、新宿方面へ向かう人の大移動が途絶えません。一度外に出て歩く人に声をかけてみると、八重洲から一時間かけてここまできたとのこと。お腹が空いていたようなので、居酒屋がオープンしていて、ガスは止まっていて炒め物や揚げ物はダメだけど、カセットコンロの鍋は食べられるよなどと会話しました。東京で見知らぬ人と会話をすることなどあまりないですが、この日ばかりはこういうことが幾度か有りました。
結局、僕らはそのまま居酒屋での退避を続け、22時ごろに船橋方面、吉祥寺方面への鉄道復旧の報をネットで確認し、解散しました。

僕らに充電器を提供してくれて、ケータイの電波が止まる中、携帯型のWi-Fi発信器で僕らに電波を分けてくれて、しかも仲間の鉄道マニアの情報網などを駆使して、冷静に情報を収集してれくれた大山顕さんがいたのは、とても心強かったです。もし一緒でなかったら、僕は携帯から情報も取れず、バッテリーも尽き、家までがむしゃらに歩いて帰るほかなかったはず。またこの事態は「東のエデン」のようでもあって、その脚本家と一緒に過ごすというのは、とても貴重な体験でした。この2人と、あとストーリーライダーズの加川さんも、ありがとうございました。

尚、大山さんは、今回の東京における帰宅難民の行動をログ化するというプロジェクトを行っています。これは大都市の防災への対処を考える上でも、都市計画の観点からもとても重要なデータだと思います。

東北地方太平洋沖地震・首都圏帰宅ログ
http://portal.nifty.com/2011/03/25/a/

団地団のプロジェクトについても、とりあえず次の研究発表が5月5日に行える見込み。詳細については、また報告します。