その1

黒人音楽ジャーナリストのネルソン・ジョージモータウンとその創業者のベリー・ゴーディ・ジュニアについて書いた『モータウン・ミュージック』を読み始めた。以前、JBの自伝を読んだときのように、メモしながら読み進めていく。

最近はauCanCamのCMにモータウンのヒット曲が使われ、映画『ドリームガールズ』も公開中。ちょっとしたモータウン流行なのでちょうどいい。

1994年に出版されたゴーディの自伝『モータウン、わが愛と夢』(原題『To Be Loved』)があるんだけど、もちろん都合のいい話に偏っている。ネルソンの本は、1985年に刊行された『WHERE DID OUR LOVE GO? --THE RISE AND FALL OF THE MOTOWN SOUND』というものの翻訳。この本の執筆においてネルソンはモータウンには取材拒否された。なので過去の新聞記事やモータウンを取材した記者たちの没にされた取材メモやテープ、そしてネルソン本人が元モータウンの関係者に聞いた証言などを元に構成している。
つまりモータウン側にとっては都合の悪い話が載っているということ。ちなみに原題の『WHERE DID〜』は、モータウン・レーベルを代表する存在であるシュプリームスの1964年のシングル曲が由来。
なぜかYouTubeで探すと、画面がゲーム画面なんだけどこの曲。

本の始まりはゴーディJRの祖父の話から始まる。長い長い物語。出身は南部ジョージア州。白人と奴隷黒人の間に生まれたいわゆるムラート。初代ベリーは(という言い方をするのも、三代続けてベリー・ゴーディなので誰がJRかがとても顕しにくい)しっかりもので、コツコツ働き、貯蓄をして40代で自らの土地を手に入れ、自営を始める。初代にはインディアンと黒人の間に生まれた妻との間に息子の二代目ベリー・ゴーディがいた。インディアンと黒人の混血もムラート同様少なくない。JBもそうだった。
初代は二代目に法律の本を読ませ、教育を施した。しかし、二世が高校に行ったのは22歳の時。それまでは家の手伝いで勉強どころではなかったのだ。

初代の死は唐突だった。おそらく60歳の手前。雷に打たれて死んだ。そういうものだ。そのとき二代目はまだ25歳だった。しかし教育のたまものか、血筋なのか、2代目もしっかりものだった。二代目はうまいことやって兵役を3ヶ月で除隊。木材を売ることで大金を手にした。それが1922年のこと。
モータリゼーションの時代。とりわけT型フォードの大ヒットにより、デトロイトの町は好景気に沸いていた。フォードは1914年より黒人の雇用を始めている。フォーディズムというと画一的大量生産の悪いイメージがあるが、フォードの給料はとても高く、黒人労働者にとって天国のような環境だった。
南部の黒人が大量にシカゴやデトロイトに流れていったのがこの時代のこと。
しかし、ベリー・ゴーディ(二代目)がデトロイトに移り住んだのは、職を求めてではなく、大金を手にしたことで、南部では身の危険があったからだという。
とにもかくにもゴーディ家はデトロイトに移住する。つづく。

第2回id:gotanda6:20070330:motown2

モータウン・ミュージック

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