ローハスはゼロ年代のヤッピーか?

辰巳渚のニュースのツボ「ロハスの幸せ像」


マーケターから見たLohasLohasとはゼロ年代のヤッピーだという論旨で、ヤッピーの空虚さを描いた『アメリカン・サイコ』を取り上げている。

ヤッピーに関してもうひとつ。
粉川哲夫「ヤッピー」のいた時代」

映画を見ながら気づいたことがある。ヤッピーは、基本的に、最後の「メール・ショーヴィニスト」(男性至上主義者)なのだなということだ。「ヤッピー」は、女性にも適用されたが、本当は、0.男性だけにあてはめられるべき概念だったのかもしれない。監督の男性批判が強調されてもいるのだろうが、ベイトマンらは、女性が好きだが、それはあくまでも性的対象としての女性であり、男性同士で張り合うか、「体育会」ノリの雰囲気で固まるほうを好む。つまり、いまにして思えば、ヤッピーとは、フェミニズムやゲイイズムが社会に浸透していく動きのなかで生まれた二〇世紀最後の反動だったのだ。

なるほど。これもおもしろいけど、この定義だとヤッピーとLohasは相容れない感じ。
ならゲイイズムをハードゲイイズムとソフトゲイイズムに分けて、ハードゲイイズムがヤッピーでソフトゲイイズムがLohasという仮説はどうかな。
あぁメトロセクシャルってのもヤッピーとほぼ同じじゃないか。