そびえたて!フリーダム・タワー そして指を鳴らせ、ホワイトバンドを巻いた手で!

グラウンド・ゼロ 再生への始動 - ニューヨークWTC跡地建築コンペティション選集
 
ニューヨーク世界貿易センタービルの跡地をどうするって計画がやっとまとまったらしいんだけど、個人的どういうごたごたがあったかを知っておきたいので調べてみた。仕事じゃないからいいかげんな部分もあるので悪しからず。

まずは前段階をダイジェストで説明しよう!
WTCが崩壊したのはご存知2001年9月11日。その後かの地は“爆心地=グラウンド・ゼロ”と呼ばれる。その後、慰霊塔を建てるとかメモリアルパークを作るなどさまざまな要望が生まれながらも、地価の馬鹿高い土地を遊ばせておくことはできないという資本主義な要請から巨大なビルディングができることとなったのであった。

ここら辺から話が具体化する。最初に具体案が発表されたの2002年の7月。しかしここで挙げられた6案は大ブーイングを受け白紙に戻される。そこから「メモリアル」と「発展」というテーマを設けて再度アイデアを募る。

詳細はよくわからないが、WTCの跡地のコンペに参加した有名建築家の名を挙げると、クープ・ヒンメルブラウ、ピーター・アイゼンマン、ノーマン・フォスター、チャールズ・グワスミー、ザハ・ハディド、ハーディ・ホルツマン・ファイファー・アソシエイツ、スティーブン・ホールレム・コールハース、グレッグ・リン、リチャード・マイヤー、エリック・オーウェン・モス、デビッド・ロックウェル、リンディ・ロイ、ベン・ファン・ベルケル&カロライン・ボス、ラファエル・ビニオリといった具合になる。建築に疎い僕の知ってる名はせいぜい、ひとつもない。

話を戻すと2003年の2月にはそれらが2つに絞られ、そこから会場・ウェブなどの投票も行なった末、ユダヤ人建築家ダニエル・リベスキンドのタワー型のデザインがコンペを勝ち抜いた。

で、着工は翌年。
≫NY「自由の塔」が着工 ── テロ跡地復興が本格開始(2004年7月7日)

ただし即暗雲がたちこめる。リンク先が消えているため引用。

フリーダムタワーの設計料を要求しリベスキンド氏が提訴(nikkeibp.jp 2004年07月20日
世界貿易センタービルWTC)跡地のマスタープランをつくった建築家のダニエル・リベスキンド氏が、18億ドルのフリーダムタワーの設計料として、84万3750ドルをデベロッパーのラリー・シルバースタイン氏に求め、ニューヨーク州最高裁判所に提訴していることが分かった。

フリーダム・タワー(自由の塔)」のデザインが、安全上の理由から白紙に戻された。<中略>。タワーの建設予定地が道路から近すぎる、独立宣言の年にちなんだ高さ(1,767フィート=541m)はテロのターゲットになる、などが理由。

リベスキンドは「From the Ashes」というタイトルの文章を2005年6月23日付けのNYタイムズに寄稿している。≫訳はコチラ


その6日後の2005年6月29日にようやく再設計されたFreedom Towerのデザインが確定したと発表された。≫PROJECT UPDATE

タワーというリベスキンドの基本設計は残っていても、実際に決まったものは全然別物になっていたということか(新たに設計を担当したのはSOMとい設計事務所)?


ま、リベスキンドが設定したものだろうがそうでなかろうが、悪趣味なタワー型高層ビルには変わらない。そもそも塔というのはバベルの塔を持ち出すまでもなくエゴの象徴。神は怒りさらに人間の言葉を通じなくするに違いない。そびえたつエゴイズム! エッフェルはその塔の最上階に居住スペースを作り地上を眺めて暮らした。そして日本が誇る台東ワールドタワーはこんなだ。


まあ冗談はともかく、僕が一番シンパシーを感じたのはWTC跡地案にドーム型モニュメントを提出し、コンペに負けた安藤忠雄の発言。

「事件の根幹は異文化間の対立にあった。その軋轢から生じた都市の空白を埋めるのは、建築ではない」

ホワイトバンドとか巻いてらっしゃる方々は、この工事の妨害しに行ったほうがいいのでは? マジで。


最後に『ミステリー・トレイン』の著者グリル・マーカスのスライ・アンド・ファミリー・ストーンについて語ったコメントを引用する。

「このバンドの音には、計り知れないほどの自由があった。バンドの音が複雑だったのは、自由というものが複雑だからだ。…」