空を飛べない天才たち『横山隆一』

久しぶりに連載企画を復活。飛行機嫌いの偉人たちの外伝集『空を飛べない天才たち』の続きに取り掛かってみる。

横山隆一
Yokoyama Ryuichi

1909年生まれ。漫画家。高知県出身。彼の代表作である『フクちゃん』が初めて登場したのは二・二六事件が起きた1936年のこと。戦時中数ヶ月連載が途切れるも戦前、戦中、戦後を横断する長期連載漫画となり、その時代背景を反映させた庶民の新聞漫画として親しまれてきた。尚、ベレー帽をトレードマークにした最初の漫画家は横山であり、手塚らはその影響を受けたといわれる。

横山隆一まんが記念館のホームページ(http://www.bunkaplaza.or.jp/mangakan/)にあるプロフィールの「苦手」という項目に「雷、飛行機 」とある。彼の飛行機嫌いを巡る資料はあまり見つからなかったが、横山の友人であった斉藤茂吉の息子で精神科医の斉藤茂太氏が、飛行機嫌いについてのエピソードを語っている。

大先輩のマンガ家横山隆一さんは有名な飛行機嫌いだった。よくご一緒に旅をしたが、北海道旅行でも私は空路で出かけたが横山さんは鉄道と青函連絡船を乗り継いでやって来た。その横山さんが、仕事でヨーロッパへ出かけたときは、いくらなんでも飛行機に乗らざるを得なかった。そして無事に往復した。
『もう飛行機はこわくない!』(ISBN:4072322369)の解説より

今のところ、横山の飛行機嫌いを証拠付けるエピソードはこれだけだが、ネットで横山氏と飛行機に関する出来事を検索し、いくつかピックアップすることができた。

戦争中の『フクちゃん』は当然のことながら、戦時色が強くなっていった。横山自身も陸軍報道班員としてジャワ島で活動した記録が残されている。
戦争末期の1944年初頭。フクチャンは『フクチャンソラノ巻』(=フクちゃん空の巻)というタイトルになり、飛行場を舞台にした物語に変わったらしい。内容は不明だが、サブキャラクターである“あらくま”は水兵として描かれ、飛行機に乗っている描写もあるという(「戦争と『フクちゃん』」より)。
戦時中の横山の活躍として、下のようなエピソードもあった。

バンドンの荒鷲部隊と呼ばれる、ジャバ攻略で成果を挙げ、カリヂヤヂ飛行場突入で活躍した部隊を、東インド方面軍宣伝班がバンドン飛行場に訪問した。昭和17年6/28の事である。横山隆一荒鷲部隊が鹵獲した敵機のボーイングB17の機首に、片足で立って日の丸を持つフクチャンの絵を描いた。そして他に日本の爆撃機にもラッパを持って下駄をはいたフクチャンの絵を描く。こうしてバンドンの荒鷲部隊は、飛行機の機体にことごとくフクチャンの絵が描かれ、フクチャン部隊と名乗る事にしたという。
≫昭和ラプソディ(昭和17年)

その他にも、飛行機とは関係が薄いが、こんなエピソードもあった。
米軍は東南アジア戦線の日本軍兵士の戦意を喪失させるため「落下傘ニュース」といわれる宣伝ビラを飛行機からばら撒いたが、その中には兵士たちにも馴染み深いフクちゃんの絵柄を無断コピーして使ったことがあるという。このことを知った横山は戦後GHQに原稿料を取りにいったが、戦時中は著作権が発効しないと断られたらしい。*1

『フクちゃん』の連載が終わったのは1971年(戦後は毎日新聞に連載されていた)。5534回という長期連載記録を樹立した。このフィナーレには石原慎太郎手塚治虫石坂洋次郎水上勉井上靖川端康成らよりコメントが寄せられたらしい。

横山は2001年11月、92歳でこの世を去る。まんが以外にも居を構えた鎌倉を綴った随筆『鎌倉通信』などを残している。
 
 
上の記事の資料として「『フクちゃん』研究工房(仮題)〜横山隆一『フクちゃん』、その知られざる世界〜」を大いに参考にさせていただきました。多謝。

*1:2001年11月24日の琉球新報夕刊に掲載された岩本久則氏のエッセイを参考にした