TOP40の発明

現在、ディスコ年表を作成するため、DJの歴史について書かれた本*1を読んでいる。付箋代わりに重要なところをまとめていこうと思う。
ラジオが、いわゆるTOP40的なヒットチャート番組を流すようになったのは、アラン・フリードの失脚がきっかけになっているのだという。
ロックンロールの命名者としても知られるディスク・ジョッキーのフリードは、レコード会社からリベートを受け取っていたことを咎められ有罪判決を受ける。これは、フリードが金に汚い奴だったという話ではなく、「禁制のブラック・サウンドを激しやすい白人ティーンエイジャーに聴かせることは、反動的かつきわめて危険」と考えていた体制側が意図的に押さえつけたというものだったようだ。
TOP40以前、ラジオ番組はフリードのようなDJの趣味趣向を反映させた選曲が中心だったが、この判決を機に、ラジオDJへの信頼は地に落ちる。そして、生まれたのがもっと公正に、“売り上げのいいレコード”だけをかけるTOP40という形式だった。1950年代末の話。
今、同時進行で読んでいるJBの自叙伝も、“国家の手で住む家を追い出され続ける人生”について書かれた内容。国家がいかにポップカルチャーを恐れ、弾圧してきたかというテーマはかなり興味深い。
そして今現在、米のヒットチャートを黒人勢が占めている状況をみるに、アメリカのポップミュージック史においては、マルクス史観も間違ってはいないといえる。