『TITLE』ディスコ・カルチャー完全ガイド

gotanda62004-08-18

雑誌『TITLE』の2003年12月号ディスコ特集号を保存していたので再読。当時は“ディスコ・カルチャー完全ガイド”って「どこが完全ガイド」なんだ! と怒ったのだけど、読み返してみると巻頭の『ジェームス・ブラウンとディスコを巡る愛憎劇』というタイトルのコラム(書き手はtakahashi machihiko氏)は面白かった。
“なぜ70年代中盤から急にディスコ・ミュージックが盛り上がったのか?” について考察している。
1972年のウォーターゲート事件に始まる政治腐敗、そして泥沼化したベトナム戦争。そんな鬱屈した社会状況が戦争終結と、アメリカ建国200年祭で一気にはじけ、「アッパーでイケイケな音楽を強く求めはじめた」のだという。東大菊地成孔ゼミ受講者の皆さんなら学習済みですね(id:Dirk_Diggler:20040706#p1参照)。75年にマイルス・デイヴィスが引退し、それまで頭を抑えられていたアーティストたちが花開き、フュージョンの時代が始まります。フュージョンとディスコ・ミュージックは親和性が高く、ジョージ・ベンソンid:gotanda6:20040802#akushumi)やハービー・マンのコレなどが顕著な例。つまり、ディスコ誕生にもマイルスの引退が関わっているという解釈ができます。あと、ジャズ史からみたディスコ・ミュージックの解釈というのはちょっと面白そうだ。そのうち考えてみよう。
で、ディスコ特集のコラムに戻ると、この頃JB師は何をしていたのか? という話になっていく。id:gakus:20040811を見ておわかりのとおり、ばっちりディスコ・ムーブメントには乗っかってはいます。後追いで。ディスコ勃興の75〜76年くらいはJBにとっては受難の時期。息子を交通事故で無くし、税金関係でトラブって、レコード会社とは揉めていたとこと。そしてディスコ期には全米トップ40入りするヒットは生まれていない。これをコラムの作者は、ディスコ・ムーブメントが同性愛者の力で発展した文化だからと推測している。「マッチョの象徴にも映るJBがこの時期にヘコんだのは歴史の必然だったのかもしれない」と。
 このコラムではディスコ・ムーブメントとゲイ・カルチャーの関連については触れてないのだけど、テーマとしては面白そう。そのうち考えてみようと思います。多分、ヴィレッジ・ピープルのプロデューサーであるジャック・モラーリにキーが隠されているような気がします。この話はまたいずれ。

 

―――スキャナーのドライバーが壊れて駄目ジャケ100選に登録しようと思っていたレコードのジャケがスキャンできまへん。誰か『MUSTEK1200cub』のWindos me用のドライバ持ってないすかね?