『日本暗殺秘録』(脚本:笠原和夫)
池袋新文芸坐で鑑賞。これは僕が笠原和夫のファンであることを抜きにしても、観てみたいと思っていたもの。僕が勝手に関連付けている攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIGと阿部和重の話(ココです)にも合い通じる“戦前の昭和史”がモチーフ。ビデオにもDVDにもなっていないので(今後もないだろう)、名画座でかからないかなと思っていたらうまいことかかってくれた。
昭和の暗殺史をオムニバス形式でまとめている『日本暗殺秘録』の公開は1969年。東大安田講堂のバリケード封鎖を頂点に、学生運動が最盛期を迎えた年だ。今手元に資料の『昭和の劇』がないため確認できないものの、「テロリストの陶酔」を描きたいと思ってい笠原和夫は、監督の中島貞夫の左翼運動にシンパシーを寄せた演出にぼやきを入れていたと記憶している。
その行き違いがよく表れているのがラスト。映画のラストカットは全面タイトルで「そして現代、暗殺を超える思想はあるか?」と投げかけているのだが、笠原和夫の手によるオリジナルの脚本では異なる終わり方が用意されていた。
磯部、北一輝ら二・二六事件の首謀者たちの死刑が執行され、4発の銃声が鳴り響くところまでは同じ。そして、その後の脚本はこうなっていた。
(引用)『笠原和夫 人とシナリオ』シナリオ作家協会・刊
N(ナレーション) その頃、日本は、既に中国と全面戦争に落入り、若者たちは次々と戦場に刈り出されていった。そして、民衆の間では、その年、やくざ小唄が大ヒットしていた」塀の側の民家の板塀に股旅映画のポスター。
何処かで、我鳴るようなレコードの唱が陽気に聞えている。♪好いた女房に三下り半を
投げて長ドス長の旅
怨むまいぞえおいらのことは
またの浮世で遭うまでは……○荒涼とした日本列島のイメージ
(このシーンは現代社会状況の進展と見合わせて後考します)
――エンド・マーク――
作品として残っていないこのシーンから何かを読み取ったり、憶測したりするのは野暮な話ではあるけど、笠原エンディングは、テロを美化するのでなく、テロに走るものの滑稽な一面を著わそうという意図の下の試みだったようだ。
ちなみに、この映画で描かれた暗殺者たちは皆、死刑などの刑を受け入れているのだけど、本筋として描かれた蔵相・井上準之助を射殺した実行犯“小沼正(千葉真一)”と血盟団の首領である井上日召は事件後自首。その後、減刑、大赦により出獄後、近衛文麿に接近、相談役を務め、その後の歴史にも足跡を残している。
ここら辺の経緯は、右翼の歴史にまったくうとい僕はまったく知らなかったが、彼らは昭和29年に最強の暗殺集団として知られた“護國團”という右翼団体を結成している。
<参考URL>
http://www.ishiikazumasa.com/works/preamble01.html
血盟団、五・一五事件、二・二六事件、という昭和の維新運動の不透明さ(現代から見た際の、という意味で)は近代史のなかでも際立っている気がする。ちょっと興味のある向きは(“個別の11人”などでこの日記に飛んでくる人など)“皇道派“、“推進派”などのキーワードでぐぐってみてくだはれ。あと、この映画に関して言えば、問題があって描ききれなかった部分として、秩父宮が二・二六事件にどのように関係していたのかという話がある。当時、二・二六事件は秩父宮によるクーデターという噂がまことしやかに囁かれたようで、その辺の話に触れているサイトも広大なインターネットの中にはたくさんあるようなので、ぜひどうぞ。
◆はてな内の『日本暗殺秘録』
id:synw:20040626#p1 、 id:hibiky:20040626#p6
ちなみに感想ですが、小池朝雄が千葉ちゃんの奉公先のおやっさん役を演じていて、その落合ってキャラが正直で熱血漢のカステラ屋のオヤジ。絶対どこかで豹変して悪い奴になるんだと信じ込んでいたものの、最後まで悪い奴にはならなかった。でも悔しそうな、ぼやきの長台詞言わせたら小池朝雄は日本一ですね。刑事コロンボの吹替えを担当することになったのは、この“ぼやき”が認められたんでしょうね。
映画が終了し、トークショーを終えた後、id:hibiky氏、id:andre1977氏と合流してお茶。お2人とも、本日(2日目)も引き続き、文芸坐に行っている模様。僕も駆けつけたいところでしたが、用事があったのでパス。けど、今週中に少なくても一回は文芸坐に足を運ぶつもり。7月2日の『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』、『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』はなんとかスケジュールを調整して行きたいな。またぜひよろしくです!