ひとことじゃない感想

普通映画を批評するときに監督の出自に触れたり、影響を受けた映画などを見つけてくるものだけど、この作品の場合、引用がすべてだし、B級映画の引用で映画を作りましたというのは見た人すべてがわかっていること。ではB級映画とは何か?
併映というスタイルが生まれたのは戦前、大恐慌の頃と言われている。客離れを防ぐために、同時上映として短めで予算の低い映画を流したのだ。そこから低予算ムービーというジャンルが生まれ、次第に映画館が回転率を上げるため、低予算の映画の需要は高まっていく。予算を押さえてたくさん取るためには、シリーズものが増え、いい加減でワンパターンな展開のものが増える。また、一旦当たると2匹目の土壌狙いがわんさか出るし、パクリも日常茶飯。
60年代はイタリアからマカロニウエスタンが、70年代には香港のカンフーものが輸入され、アメリカ以外の国からも娯楽以外の何物でもないB級が生まれ、ブームが形作られた。タランティーノの出自であるB級映画とはマカロニ、カンフー、ちゃんばら、やくざ・・・。この辺のB級をひとくくりにしたプログラムを組んだ安い場末の映画館などに通っていたんだろう。タランティーノが好きなのは、こういう海外の低予算娯楽映画であって、ラス・メイヤーエド・ウッドじゃない。オタクではあるものの、70年代後半に映画漬けで青春時代を過ごせば、こうなるのはある意味当然。出るべくして出てきた存在。イーストウッドセルジオ・レオーネドン・シーゲルに捧げてつくった西部劇へのオマージュ『許されざる者』はアカデミーの各賞をさらい、おおくの賞賛を受けた。『Kill Bill』という作品の意義は『許されざる者』なんかとそう違わないんじゃない? B級映画で育った層が監督をやるようになれば当然出てくるものとして。