共食いキャラとは何か

共食いキャラの本

共食いキャラの本

大山顕の新刊。
「共食いキャラ」というのは、思想界隈で注目されているテーマである「キャラ化、擬人化」の究極の在り方でもある。なぜ、彼らはキャラ化し、「自分を食べて」というメッセージを能弁に語る必要があるのか。食べられてしまうのは自分なのに。
ボーカロイドというソフトウェアや秋田のお米が擬人化したりてしまうことよりも、批評的・現代的な事象であるように思う。
 
僕は「タナトスフロイト用語の「死への欲動」ではなく(そっちでも合致するが)、ギリシャ神話のタナトスの話を思い出した。
タナトスは「死そのものを神格化した」存在で、かつ「抽象的な存在で、古くはその容姿や性格は希薄であった」という神。
「死」ってボーかロイドよりも擬人化しにくいんだね、みたいな話でもある。
そこをしらっと擬人化(?)した「共食いキャラ」は、ダミアン・ハーストこの人)のテーマを別のサイドから照射したものと捉えることができる。

 
工場・団地から共食いに至る大山顕の仕事は、一見サブカルチャー的な事象の切り取り方に見えるし、本人も「おもしろいよね」的なスタンスの人なので、そういわれても本人も否定しないだろうと思う。
だけど、大山総裁の取り上げるテーマ、批評的な視点というのは、むしろ現代アート側から見つけ出されるべきなんじゃないかと思う。廃墟写真集とか、ユルキャラ本とかとは違ったレイヤーにいる気がする。
山本現代なんかがしらっとスマートに大山顕展をやったりするとかなりおもしろいと思うんだけど。

団地の見究工場萌えジャンクション高架下建築