疑問への返答です

HangReviewersHigh』にて、ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たちを丁寧にとりあげていただいて、「本書の中で、二三の疑問点として残る部分はあった」とのことなので、できる限り丁寧ににお応えしたいと想います。

世界の中心で、愛をさけぶ」などが、作者がどんなにフィクションであることを強調しても「実話なのか?」という問いが読者から殺到してしまう、つまりケータイ小説や「『不幸だった過去を洗いざらい告白する』系ノンフィクション」に限らず、いま広範囲の読者が「ほんとにあった話」を求めてしまっている事態についてはあえて語っていない。
HangReviewersHigh

僕も、この本について検証しなかった部分*1が多かったなという反省があり、そのさいたる部分が、本の中で使わせてもらった「リアル系」という言葉の検証の部分。赤木かん子の言葉を引いただけで、なぜ「実話」を求めるのかを自分なりに考えることをしなかった。
いや、考えたんだけど月並みな答えしか見いだせなかったという感じか。
正直これについては、以前触れられていた「「”It”(それ)と呼ばれた子」とか、「ア・ミリオン・リトル・ピーシーズ」などのフィクションが「ノンフィクション」として売り出されてベストセラー化し問題になるなど、ひどいことがたくさん起こっているのだ。」という記事における「フォークロア的だ」という検証が優れていると思います。
それと、社会学者の土井隆義が『友だち地獄 (ちくま新書)』で書いているような、乙武くんのように生来的に持った障害を「聖なるもの」と感じる若者的な純粋まっすぐさ傾向みたいなものが、ひとつヒントになっている気はします。

もうひとつは、浅野智彦小池靖の著作などで書かれているような、セラピーとしての「自分語り」療法みたいものが、社会の前面に押し出されて共感されているという印象を受けます。
 
あと2番目ですが、

アニメやゲームといった文化にこだわり続け、「いつまでも大人になりたくない」オタク文化と対置する形で現在のヤンキー文化を「早く成熟したい」というものであると定義しているが、そこにも若干の異論を持った。

とのこと。特に、

では彼らが本当に「成熟」した先、すなわち大人になったときに至る場所とは、真の意味で反社会的な存在になる道になってしまうはずであるからだ。

の部分ですが、おっしゃるとおり、「大人と子供を区別する規範意識が強固に内面化されている」でまったく問題ないと思いますが、僕が言いたかったことは、「飲酒、喫煙、不純異性交遊、無免許による運転」といった不良少年的な行為って、これは20歳になれば誰でも当たり前にやれる「適法」なことばかりじゃん、という程度のことでした。そこから思いつく、ヤンキーって早く大人に成りたい人たちのことなんじゃないか? という推論に至るわけです。確かに「規範意識」の方がここでは論じるにふさわしいかも。

*1:というか、僕のこれまでの本で「〜ついては答えをのちほど」とかいって、放置するパターンが多すぎる。gotoコマンドで、存在しない行数に飛ばしてしまったプログラムみたいな