藤圭子の暗い過去について

藤圭子の暗い過去のギャップ (ゲンダイネット)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/divorce/story/09gendainet07021152/

 藤のイメージは一言で言えば“薄幸”。幼い頃から両親とともに地方回りし、69年に「新宿の女」でデビュー。続く「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットし、“怨歌”と呼ばれる独自のスタイルを築くまで、涙なしでは語れない苦労の連続だった。
 当時の雑誌には「両親の流しをやめさせられない藤圭子」「苦労した人藤圭子が夢ひらくまで」「食べていけなくて……純子(藤の本名)は中絶するはずの子でした」といった見出しが並ぶ。
 演歌歌手として花開いたものの、前川清との離婚を経て再びドン底へ……。藤の“暗かった”人生が落ち着いたのは、娘の宇多田ヒカルがスターになってからだ。

 これはフィクションをそのままを受け止めて書かれた記事。実際の藤圭子はGSのグルーピー上がりという証言もあるし、流しの生活はむしろ裕福だったという説もある。戦略として不幸なプロフィールを背負ってデビューしただけ。

大阪万博で浮かれた時代の「超ネガティブソング」(exciteニュース)
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091110265889.html

どんなに万博で世の中が浮かれても、反比例するように、沈み込む人たちだっている。

なんでこんな記事がエキサイトに掲載されているのかはともかく、暗い歌が多かったのはレコード会社の戦略であって、沈み込む人が多かったから暗い歌が流行ったわけではないと思う。戦争前やバブル崩壊とかの暗い時代にはむしろ浮かれた歌が流行る。日中戦争直前の東京音頭の大ブームとか。明治維新前の不安時代の「ええじゃないか」とか、バブル崩壊後のジュリアナ旋風とか。