『釣りバカ日誌』と娯楽映画の今

現在公開中の『釣りバカ日誌』を観た。
娯楽映画のパターンとしてはいくつもの要素を詰め込み過ぎで消化できてないんだけど、お腹一杯で楽しかったという『踊る大捜査線』のタイプの映画だった。今の日本映画界を代表するこの両大衆娯楽シリーズのファン層はおそらくほとんどかぶらないはずだけど、両シリーズの共通点は多い。
まずは“男同士の密通”が物語りの軸であること。“釣りバカ”は社員と社長という立場の2人が“釣り”を通し密通する物語。“踊る〜”は所轄の刑事と本庁のエリートが“組織改革”という理想に共感し密通する物語。次に、舞台となるのがどちらも旧態然とした大組織であるところ。“釣りバカ”は大手ゼネコンが舞台で、“踊る〜”は警察。そういや加藤武を筆頭とした取締役連中はスリーアミーゴズに匹敵する(小野武彦は両作に出てるんだなあ)。
“寅さん”の時代には下町の風景や義侠心が“ニッポンの心”だったけど、現代の“ニッポンの心”は世代に関わらず上司と部下の触れ合いとか給湯室での陰口って感じの“組織の中の軋轢”なんだろうね。
さて感想。
“踊る〜”の場合、“敵”は自分たちの組織の論理を脅かす犯罪者として登場する。一作目はプロファイリングが通じない子供、二作目は組織をもたない犯罪者の集合体だった。今作の“釣りバカ”の場合、敵に当たるのはおそらく“尾崎紀世彦”だ。尾崎紀世彦佐世保でカントリーテイストのバーを一人娘の伊東美咲と一緒に営んでいる。伊東美咲のフィアンセは鈴木建設が本社に戻したがっている長崎支社の社員。その2人の結ばれない恋が一応今作の物語の軸になっている。社の都合にあわせて転勤を繰り返す“サラリーマンの論理”に抗うのがバーのマスターの紀世彦という構図。
サラリーマンの論理と紀世彦の論理に板ばさみにされた主人公の西田敏行がいかに立ち回るかのドラマになるのが自然な成り行きなのだけど、そうならないのがすごかった。
最後、娘の結婚を渋る紀世彦を結婚式場に連れて行くというクライマックスで西田敏行(はまちゃん)が取ったのはアメリカ海軍の援助を求めるという行動だった(イヤ、観てない人は信じないと思うけどホント!)。つまりサラリーマンの論理でも地元バーのマスターの論理でもなく“第三の組織の論理”が出てきた。しかも無理矢理拉致する。ザッツ・アメリカ! 世界の警察! 僕らの仲間!
なるほどアメリカというテーマから、尾崎紀世彦伊東美咲という浮きまくりのミスキャスティングも説明可能だ。“いかにカウボーイハットが似合う”かの一点で決めれた役に違いない。あと、いうまでもないけど西田敏行は日本で一番カウボーイハットが似合う役者だ。この3人でカントリーソングを歌うシーンはホントよかった。
運転手に韓流ドラマの再放送を観る妻のエピソードを語らせ家庭崩壊のテーマを織り込んだり、三国連太郎に戦後の引き上げ時に降り立った佐世保の姿とその後の佐世保の繁栄を回想させるエピソードを挟んだり、ナショナリズムの影を感じさせた本作。親米保守という今の日本の姿が描かれていた。おすすめ!

釣りバカ日誌 DVD-BOX Vol.1

釣りバカ日誌 DVD-BOX Vol.1