その1

 38年前の今日、1966年の10月6日は、アメリカでLSDが禁止された日。当局のポップカルチャーへの監視が高まる中、クリーム、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスがデビューし、ニューロックサイケデリックな時代へと突入する。
 ブライアン・ウィルソンが『SMiLE』のレコーディングをしていたのはまさにそんな時期。ビーチ・ボーイズにとっての1966年というのはおもしろい年だ。
 この年の1月、ビーチ・ボーイズビートルズよりも半年ほど早く来日公演を果たしている。渋谷公会堂でのビーチ・ボーイズ来日公演は、ストライプシャツに白のコットンパンツという、お決まりのスタイル。伝えられる話によれば、マイク・ラブのロックンロールショーだったようだ。ちなみにこのツアーにブライアンは参加せず、スタジオにひきこもっていたのは有名な話。オーヴァーダビングを重ねて作られた『グッド・ヴァイブレーション』に2月から9月までの期間を当てたといわれている。
そして5月には『ペット・サウンズ』が発売。この頃から、ヴァン・ダイク・パークス共に『SMiLE』の本格的な制作にかかっている。
ビーチ・ボーイズにとって最良の時期はこの66年までだ。翌年には『SMiLE』は制作の中止が決まり、不本意な『スマイリー・スマイル』を発表。その後キャピトルを離れる。1968年にはマハリシ*1を伴い大々的なアリーナ・ツアーを計画するも、まったくチケットが売れず一週間で打ち切り。この騒動で彼らは50万ドルの損を出したらしい。
つい2年前の日本公演では、ストライプのシャツを着てはしゃいでいた彼らがなぜマハリシと一緒にツアーをやるようになったのか? 実は、マイク・ラブマハリシに熱を上げたらしい。
マハリシの言葉で最も偉大だと思ったのは“あなたの精神的な向上のために、何もロールス・ロイスを諦めることはないのだ”ってことだ」というのがマイク・ラブのセリフ*2。これをロックといわずして何をロックという? うんにゃ、当日記では“ディスコ”だ。僕のディスコ・アンテナはマイク・ラブに強く反応している。
 前々からマイク・ラブには興味があった。共和党支持者で、7月4日の記念日にワシントン広場でコンサートをやったりするビーチ・ボーイズの暗黒面(マイク・ラブ面)が知りたい。ネット上にはマイク・ラブに関する資料が少ないので、これからいくつか文献に当たってみる。
 amazonのレビューによると、『ビーチ・ボーイズのすべて』という本は著者、中山康樹マイク・ラブを執拗に悪く書いているとの事なので、とりあえず購入。
『SMiLE』を聞いたマイク・ラブは一体なんて言うだろう? それが一番知りたい。

ビーチ・ボーイズのすべて (エイ文庫)

ビーチ・ボーイズのすべて (エイ文庫)

*1:このキーワードの解説はあんまりなんで、レノン・ファンは修正すべきかと

*2:『ロック/ポップ歴史新聞』シンコーミュージック