空を飛べない天才たち 第4回

若松勉(わかまつつとむ)
小さな大打者”のあだ名で知られた若松勉。166.7センチと、野球選手としては極端に体の小さい若松は、それをものともしないバッティングセンスで一時代を築いた。首位打者2回、MVP1回。そして、もっとも輝かしい記録は、3割1分9厘という生涯打率。これは日本人歴代1位という大記録である。
 これだけの選手でありながら、性格は温厚というのが若松の定評だ。1999年にはヤクルトスワローズの監督に就任。就任3年目にはスワローズを優勝へと導いたが、これは「監督を男にする」という選手全員の思いが実ったものだった。選手をそこまで奮い立たせる若松の人柄は、優勝時の「ファンの皆様、本当におめでとうございます」というコメントにも片鱗を見せている。
そんな若松が苦手だったもの。それは飛行機である。 現役時代の飛行機での移動時は、目をつぶり両手を合わせて祈りながら離着陸時の恐怖に耐えたと伝えられている。「飛行機移動に比べれば、練習は天国」。当時の若松の名言だ。
 
 そんな若松の飛行機嫌いを示す最近のエピソードがスポーツ新聞でさらされている。昨年のオープン戦での出来事だ。
その日、 監督の若松はチームを代表し、球団関係者の通夜に出席していた。しかし、翌日は遠征先の鹿児島でロッテ戦が控えていた。若松は午前8時45分発、10時35分鹿児島着の日航機に乗る予定だった。しかしこの日、東京航空交通管制部のコンピューターシステムがダウン。飛行機はなかなか飛ばなかった。
 ロビーで待たされること3時間半。しかも悪いことは重なるもの。ロビーには次のようなアナウンスが流れた。鹿児島空港は濃霧のため東京に引き返す場合があります」。天候も万全ではない。飛行機嫌いの若松の心情は察するに容易だ。若松は「お腹がいたい」と空港のトイレに5回駆け込んだという。ようやく飛行機は飛んだが、案の定、鹿児島への着陸は難しいものだった。一度着陸体勢に入った後、再浮上し体制を立て直した。2度目のアプローチで無事着陸に成功。機内には拍手が沸き起こったという。もちろん若松は拍手する気など起きなかっただろう。死ぬか生きるかの大苦闘を胸のうちで繰り広げていたはずだ。
 まさに命をかけて辿り着いたロッテ戦。結果はどうなったかというと、雨天中止。それが人生だ。
 
 

次回の『空を飛べない天才たち』はアレサ・フランクリンを予定しています。もちろん、誰が書いてもかまわない企画なので、俺が書きたいという方がいましたらぜひご参加ください。