戦前の東京市麻布区

 うちのカミさんがねえ、かなりの地図マニアなんですよ。テレビのそばには地図帳を必ず置いていて、例えば俺が「ボブチャンチンって、“北の最終兵器”っていうけど、ウクライナってそんなに北じゃないよね?」なんて質問しようものなら、すぐに緯度を調べてくれるし、世界で二番目に高い山って何? と聞いても地図帳で調べてくれて「K2」だって教えててくれるんですよ。
 はてなでは渡瀬さん(id:yasai)さんが地図好きカミングアウトしていて、古地図への興味も示しているご様子。ちなみに、うちには昭和7年の古地図があって、なるほど今の大きい公園ぼは昔は大概練兵場だったんだとか、西麻布は霞町って言ったんだなどまあ楽しんでいます。
 で不思議なのが、六本木から麻布十番、南麻布近辺の番地表示が無いこと。これは、いまだに南麻布の街に立つ住民案内図では番地が伏せられているらしい。これは何の理由からそうなっているんでしょうか?
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昭和37年5月、住居表示に関する法律が施行され、市町村番地をつけることが義務付けられたが、一部住民の反対により“住居表示未実施地区”が生まれた模様。どうも京都などは普通に表示未実施地区だったりするようですね。資料提供=id:asazowさん