昨日の菊地成孔東大ゼミ

 昨日菊地成孔東大ゼミの講義、ノートにメモしたところを興してみます。枝葉の部分(「くるり殺す」見たいな部分)ばかりメモしていたので、講義のエッセンスには触れられない可能性も大いにあります。
 まずは80年に何が起こったかという話。ロラン・バルトの死。だけど「バルトもデリダもジャズには何の関係もない(菊地)」という話。かつて、デリダの朗読のバックでオーネットが演奏するという催しがあったものの大ブーイングだった。
 で、81年にはマイルスが復帰。『マン・ウィズ・ザ・ホーン』からボーカル入りのナンバーをかける。「これ大野雄二じゃないよ」と菊地氏(笑)。ちなみにこの曲は「全ジャズファンが無かったことにした」もので、「ジャズファンはソウルが嫌い」とのこと。またマイルスが75年に引退してから81年まで何をしていたか? 「やりまくり」、「ポラ撮りまくり」、「デリバリーの皿を貯めまってメイドに飽きれらまくり」、「パーカーの写真を部屋に貼りまくり(涙)」して過ごしていたとのこと。「この時期はさすがにスライに勝ったかも、前回はスライに迫力負けした話をしましたが」と菊地氏。マイルス名誉挽回!
 この辺まではかなり与太話な感じ。で、W・マルサリスがデビューする話。彼はトラディショナリストで、歴史の常として修正主義的な部分も持ち合わせ、ロックで言えば(10年のずれがあるが)レニー・クラヴィッツの様な存在とのこと。回顧主義はどの分野にも付きものでクラシックの世界では平気で200年位は遡ることがある。また、逆に反動も生まれ、新古典主義への回帰によってシェーンベルグドビュッシーが登場したという例など。
 82年にはMIDIとCDが生まれていて、これにより「MIDIの登場によってジャズのモダニズム運動は終焉を迎える」というのが今回の最重要テーマ。ここは後述。
 それから`83年。この年は重要な年でDX-7とファミコンが登場し、にも拘らずYMOが散開した年。“散開”は軍隊用語で、坂本龍一の左翼性に触れ、すかさず大谷氏が「その後いっきに右に触れますけど」とつっこみ。「左翼がPOPに目覚めるとはしゃぎまくる(菊地)」とのことで、東京ジョー(坂本龍一渡辺香津美)をかける。『千のナイフ』と『東京ジョー』。「気志團じゃないよ」と菊地氏。本当に気志團っぽい。ちなみに当時19歳の菊地青年はゲームやりまくりで、ゼビウスが上手い天才少年を見に行ったエピソードなど。
 講義の流れは忘れたんだけど、バークリーによって記号化されたジャズのメソッドが、ニューソウルという洗練された音楽としてポピュラーの市場に展開されていくという話で、カーティス・メイフィールド『バック・トゥ・ザ・ワールド』をかける。菊地氏は『ムーヴ・オン・アップ』だと泣くから辞めてとのこと。 あと、大友良英佐々木敦野田努を呼んでなんちゃらっていうメモが残ってるんだけど、何の話か忘れた(音響系がジャズからポップスに移行する云々)。
 最後にこの講義の最重要テーマ、「MIDIの登場によるジャズのモダニズム運動の終焉」について。この降りはメモってなかったので、記憶に頼る部分多し。僕の勝手な解釈も混じってしまっている可能性もあるので、正確にはのちに更新されるであろう非公式掲示板を参考のこと
「ジャズの持つ本質を抽出する作業」がモダニズム運動で、具体的には、白人に寄った音楽“スウィング”の反動として“ビバップ”が生まれるところからはじまり、バークリーによる記号化(白人化、家畜化)がなされ、さらにそこから離れる運動(モーダル・コーダル)があり、その後、磁化、MIDIの登場によって終焉し、ポストモダンに突入。ジャズのポストモダンの部分は、今一番話したい面白部分ではあるのだけど、この講義で触れるべき部分ではないとのこと。MIDIの登場と共にCDの登場も大きく、音楽がアーカイブ化され、ポストモダンと思われていたのだけど、さらにiPodが登場して、リーディングからローディングの時代になった(その後、労働INGだか朗読INGだか、ごにゃごにゃジョークを言っていた)。あと、MIDI音楽の代表曲として、『マテリアル・ガール』。打ち込みにエレキギター・ベースを重ねただけのものとして。これを手がけたのがレジー・ルーカス(ナイル・ロジャースはどこへいった?)。
 前期授業はおもしろおかしく1945〜1985のジャズのモダニズム運動をなぞってきたけど、後期は部分的に掘り起こし、アカデミックな内容になっていくとのこと。
 とりあえずざっとメモを興した感じなので、また後で読み返して訂正などしていこうと思います。

■曲目などはこちら↓がフォローされてます。
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20040708#p1