キューティーハニー鑑賞

 シナリオ学生である自分が学んだことのひとつが、主人公と対立する敵役の設定はムズカシイということ。時代劇なら悪代官、西部劇ならならず者一家、レインボーマンなら死ね死ね団と相場が決まっていたものだけど、そういう極端じゃない設定のドラマを書く場合、何を“敵”、もしくは“悪”とするのかというのを考えるのは困難。“巨悪”とか“社会”とかも前時代的なわけで、半端な設定の敵だと最後は本当に悪いのはどっちだなんていう矛盾に陥ってしまったりする……。
 で、『キューティーハニー』観てきました。新宿コマ劇前の映画館。
 庵野版『キューティーハニー』の場合、対立する敵であるパンサークロ―の首領“シスター・ジル”の目的は世界征服……ではなく、“永遠の命”、“美貌”、そして“つまらない日常からの脱却”の3つ。この3つ目は非常に切実で、世界征服という野望がかなったとしてもこの3つ目だけは永遠にかなわない夢かもしれない。
 このテーマに関しては「まったり生きろ」という提示や“「滅茶苦茶に容赦なく」生きろ”*1などの重要な提示がこれまでにあったりしたけど、あくまで手段のひとつに過ぎない。シスター・ジル様の悩みは現代人の究極のテーマでもあるのだ。
 敵の四天王のひとり、ブラッククロ―(ミッチー)は、そんな日常を“戦い”と“自己陶酔”で生き抜こうとした。他の四天王にもそれぞれの“生へのあがき”が設定されていればよかったと思うんだけど、多分そこまでの設定はない。残念。エンターテイメントとして成立させる境界だったのかな。
 で、キューティーハニーは、何をもってそのシスター・ジルを倒すのかというと、当然“愛”なんだけど(だって“愛の戦士”なんだもの)、そこを難解にするのは愚の骨頂。<ここより先、ややネタバレ有り> 最後の方のエヴァを連想させる羽が生えるシーンでちょっとやばいかな、と思ったものの無事に着地。ああよかった。正直おもしろかった。ただのコスプレショーとか、サトエリのプロモだっていう感想が多いけど、それだけの映画じゃないっスよ。起承転結のない長文で失礼!。