ウェブ日記とテキストと活字の違い


きちんと起承転結があり、推敲を繰り返したことがうかがわれるテクストより、生煮えのアイディアを「えいや」とばかりにドラフトのまま放り出したテクストのほうが、少なくともウェブでは魅力的に感じられる。逆にウェブで接したときには面白く読めたテクストが、活字になるとさほど楽しめないことが多いのは、活字メディア(とりわけ単行本)では「ドラフトっぽさ」がマイナスに作用するからだろう。
 id:yskszkさんの日記より引用。“ウェブ日記として面白い文章でも、活字化したら途端につまらなくなることが多い”という話。興味深かったので取り上げさせてもらいました。
 人はモノを読む際、気構えを持って挑む。ネットならネット、新聞なら新聞というように、無意識ながら必ず先入観がつきまとう。メディアの差に限らず『文藝春秋』を読むときと『週刊ポスト』を読むときの気構えだって違うし、地上波のTVを観るときと、CS放送を観るときだって意識は変わる。
 先入観っていう話だと書いている人が誰かというのも重要で、村上春樹の小説を普通に読むのと、村上龍の書いた小説してだと誤認して読むのとでは全然印象も変わってくる。
 話は変わるけど、はてなダイアリー百選の書籍化は、このあたりが問題かと。ウェブ上で観るものとは全然違うものになるってことは覚悟が必要。僕もウェブに書く場合は、荒削りの文章の方が面白いと思って推敲とかしないんですが、もしそれを書籍化するとかいわれるとかなり抵抗があるかな。