きむとサブカルとビレバン

ビレッジバンカードも気がつけば、ずいぶんと変わってしまったという話を。
ちょっと前にツイッターでつぶやいたのですが、あまり賛同してもらえなかったので。

ビレッジバンガード=サブカル本屋

という認識は、僕の中ではもう3年くらい前から崩れています。
まず基礎的なところ。ビレバンは不況の書店業界の中で、唯一店舗数と売り上げが右肩上がりの新刊書店ですが、売り上げに占める書籍の割合は、すでに「13.5%にまで低下してしまった」とのこと。
詳しくはこちら。
http://d.hatena.ne.jp/chakichaki/20091012#p1

 
さて、ここ数年、ビレバンの新規出店の多くは、地方のショッピングモールです。
東京住んでいるとビレバンって下北や自由が丘にある個性的な本屋のイメージがあるかもしれません。CDコーナーなどにいくと、誰が買うのかというようなP-FUNK系のCDの特集棚が作られてたり、ロマンポルノ女優のCDが特集されていたりして、やたら濃かったものですが、地方のビレバンはそういうノリではないです。

ではどんなノリなのか。去年ビレバンから火がついたヒットCDのシリーズがありました。たしかシリーズ累計40万本とかを、ほとんどがビレバンだけで売りつくしたと言われています。これ。

LOVERS POP

LOVERS POP

J-popのヒット曲をレゲエアレンジしたコンピレーション。いわゆるネット的に「サブカル」と呼ばれる文脈とは違いますよね。

あと、こちらでも指摘されている「きむ」という詩人ですが、僕が路上詩人や高橋歩について書いた『自分探しが止まらない』を書き終えた直後くらいから台頭してきた(といっても主にビレバン界隈だけで)詩人です。

「きむ」は、みつを→326→てんつくマン(路上詩人)とつながる手書きポエム文化と自己啓発文化の流れを組んでいるように見えますが、実は違います。
“きむ”は手書きではなく、フォトショップか何かで写真に文字を乗せているだけで、自己啓発のメッセージとしても出来はまずく、下手な写真に下手なポエムを添えて(注:個人の感想です)るだけという本を何冊も刊行しています。自己啓発ではなく、自己満足本とでも呼ぶべきでしょうか。ケータイ小説とかを始めて読んだときは衝撃でしたが、“きむ”を始めて見たときはそれ以上に驚きました。

信じる明日に向かって

信じる明日に向かって

ただの水が商品として発売され、水と空気は無料というマルクスの前提が覆されたた1970年頃に、それを受けて吉本隆明は社会の変化を捉えてなにかいったように記憶していますが、僕も“きむ”の登場には思わず出版文化の終焉を唱えそうになりました。

“きむ”の出自はよくわかりませんが、自費出版の版元から自分で撮った写真にポエムを添えた本を何冊か出して、さらに自分が社長になって「いろは出版」という出版社を起ち上げて、何冊も本を出しています。取り次ぎの流通にのってないのでしょうか、ほぼビレバンでしか見たことはありません。

ちなみに、僕はビレバンは大好きです。むしろ、こういった文化が生み出す何かに期待しています。これは物を書く人間としても、消費者としても。
ビレバンにはこれからも通い続けると思います。なぜなら、あまり新書を置いてくれないビレバンでも、僕の本は結構置いてくれている店舗が多いからです。
ありがとうビレッジバンガードさん!

自分探しが止まらない (SB新書)

自分探しが止まらない (SB新書)