前向きに生きる姿勢について

自著『自分探しが止まらない (SB新書)』に関して、こんな指摘を受けたので、解答。

また、本書全体を通して感じるのは、著者の"カッコつけ"的な姿勢だ。
まるで甲子園(国立)を目指して練習に励む野球(サッカー)部員を嘲う帰宅部ヤンキーのような、本当は自分も何かに熱中したいのに、その対象を見つけられず、頑張っている人を茶化す事でしか自分の存在意義を示せないような…。

あとがきにもそのような記述がある。

僕の場合は運が良かったから職にありつけているだけだ。

頑張ったからではないのか?
汗水たらして努力したからこそ、今の著者があるのではないのか?

しかし、そのように書かざる得ない気持ちも分かる気がする。

"頑張って努力すれば、夢はきっとかなう"的な事を書いてしまうと、本書の中で散々嘲った"自己啓発本"になってしまう。

そういう意味で、本書の落とし所は大変難しい。

"海外行ったて、何も変わらない!現実逃避するな!現実を見ろ!お前に可能性なんて無い!"のような、思いっきりブルーな落とし所に持っていっても良かったかもしれない。
※中盤辺りまではそういう勢いを感じたのだが…

しかしながら、個人的には本書の中で"自分探し"とは対極な存在として挙げられていた三浦カズや野茂を"自分探し"の理想のゴール像として提示して欲しかった。
"自分探しが止まらない"の落とし所

いやほんとおっしゃるとおり!
あとがきのあとがきみたいな話をする。当然書き出しの時点では、軽い気持ちで三浦カズや野茂的な生き方を持ち上げるようなラストを想定するわけだけど(いかにもそういう出だし)、それはこの方が指摘するように、あり得ない展開になってしまった。次に、「現実を見ろ」的な非常に新書的なオチもあり得るわけだけど、これはやりたくないというか、自分自身を振り返ってあり得ない終わらせ方だった。そして、社会が悪いから社会を直せと言うワープア論壇的なことをいうオチも、ないよなと。
その辺はまさに昨日のエントリーに書いた問題そのもの。前二つは個人に責任を押しつけるネオリベ。後ろは国が悪いというだけで、個人に幸せが訪れるわけでもない。結局、その2つ以外にどんな答えがあるのかを見つけることができなかった。
新書である以上、その問題に対して、なんらかの答えを提示しようとは思っていたので、そこであっぷあっぷしたなあと反省。
その答えはいまでも難しいなとは思う。
 
でも、ちょー個人的な話をすると、僕自身は単純な単に熱いモノが大好きな、自己啓発野郎の要素は多々あって、行き詰まった自分をポジティブにするのは超簡単。だめな子ががんばって見返す類のドラマには超弱い。本当に書きたかったラストの締めを言えば、「お前ら、レッドビッキーズを見ればちょー前向きになれるぞ」ということになる。まあ、さすがに新書でその締めはない。

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一応あらすじを紹介すると、駄目なコたちの野球チームを、女だから野球ができなかったという悔しい思いをしたコーチの林寛子が引っ張って、強くなるという話。
この頃の林寛子は、みんなも大好きな勝ち気な美少女だった。

でも、三次元の勝ち気な美少女ってのはさ(ry)